share the passion

対談企画vol.01

share the passion

巨大魚に魅せられた永遠の少年たち、その保全活動に迫る

対談企画 : シュマリの「ふたり」

旭川空港から車で北へ約2時間。道北部に位置する幌加内町朱鞠内界隈は、かつて-41.2度を記録した道内屈指の寒冷地帯である。古よりヒトを拒み続けた深山幽谷には今でも野生と無垢の自然が残り、ここにイトウが生息している。ある晩、薪ストーブの揺らぐ炎を前に二人の男が談笑していた。環境コンサルタントとしてイトウの保全に携わる秋葉健司と、根っからのアングラーであり湖畔施設の管理運営や漁協に携わる中野信之。いずれも北海道の大自然に魅せられた移住者である。二人を猛烈な引力で惹きつけ、つなぎ合わせたのは淡水魚のなかでも最大級に成長するというイトウだった。世の中が大きな転換期を迎えようとするなか、朱鞠内においても課題は山積みである。この魅惑的な魚を主軸としていかに地域振興を図るべきか、真摯な二人の足跡、困難、苦悩、現実、充実、未来についての話を覗かせてもらった。立場は違えどもたがいを補い合い、共存共栄を目指す未来——今宵も永遠の少年たちのイトウ談義は尽きない。

秋葉 :
 イトウの保全に関わって二人とも15年以上経ちますが、イトウをめぐる状況はかなり変わってきましたよね。

中野 :
 今思うと、私がこの湖に関わった20年前、イトウは「幻の魚」でしたね。少ないわけじゃないんですが、当時はサクラマスの印象が強く、イトウはなかなか釣れない魚でした。今ではイトウが主役になり、サイズもアップし、去年の最大は107センチ。今後、昔は存在したという伝説が残る140センチのイトウが棲む湖にしたいですね。

秋葉 :
 水資源豊富で広大な北海道には1級、2級水系を合わせて243水系が存在します。そのうちイトウの生息記録が残るのは42水系。一方、現在生息が確認されている水系数には諸説ありますが、20水系を超えることはないだろうと推測されています。生息水系数で比較すると半減している状況ではありますが、保全活動の進展によって明らかに生息数が増えている水系もあるんです。

中野 :
 朱鞠内では2001年に研究グループを招き、すべての流入河川の産卵場所を調べてもらいました。その時、秋葉さんは調査員ではなかったのですが懇親会にいらっしゃって、あれが初対面でしたよね。研究者に意見する姿に、「すごく熱い人だなぁ」というのが第一印象でした。

秋葉 :
 しゃべり出したら止まらないので……(笑)。

中野 :
 調査で判明した産卵床数は、私たちが予想していたよりはるかに少なく、地元の人は「そんなはずがない」と言うのですが、私は「何とかしないと」と痛切に思いました。

秋葉 :
 今とは違って遊漁料さえ払えば、釣ったイトウを何匹持ち帰ってもよかったんですよね。

中野 :
 それもありますが、地元住民、漁師、近隣の釣り人など、それぞれにイトウに対する考え方に温度差があり、当たり前のように捕獲し、たとえ食べなくても獲物はキープする人がほとんどでした。そこで、まずはイトウの貴重さを理解していただくところから始めなければ、と。

秋葉 :
 当初は反発も強かったはずですよね。

中野 :
 凄絶でした。当時はイトウの保護区域というよりも無法地帯でしたから、遊漁料の徴収に行ったらみんな逃げる。禁漁区域にはたくさんの釣り人がいて、地元の方からも「中野、あんまりうるさいこと言うなよ、お客さんいなくなるぞ」って、どこかで顔を合わすたびに言われまして行き場がなかったです(笑)。

秋葉 :
 それって、今でいう密漁者じゃ……。

中野 :
 そうですね、当時は北海道と本州で釣りに対する考え方の違いもあったと思います。北海道は資源が豊富だし、管理しなくても魚はたくさんいる——だからお金は払わないという感覚。その反発もあってか、脅迫電話、脅し、ある時は湖畔で強面の釣り人2人組に押し倒され、喉もとにナイフを突きつけられたことも。もうボロボロでした。でも、当時20代の私にとって、家族、支えてくれた漁業組合員の先輩、そして釣り人からは「応援してるよ」と声をかけられ、ほんとうに励みになりました。

秋葉 :
 ここまでに長い道のりがあったんですね。

中野 :
 いや、真正面からそう言われると照れますが、周囲40キロもある広域な湖岸には誰も住んでいないし、釣り人もまばら。そんなところを監視して回るのは、正直、クマの方が怖かったですよ(笑)。秋葉さんのフィールドは天塩川ですよね。北海道第2の大河を単独行で、ヒグマとの遭遇など怖くないですか?

秋葉 :
 ヒグマは、こちらの存在を匂いや音などで知らせてやれば向こうから回避してくれる。でも出会いがしらとか、向こうが風上で人の匂いをかぎつけられない時なんかは、ちょっとね。

釣りと保全の両立を目指して

中野 :
 天塩川でのイトウの産卵床調査は、いつからでしたっけ?

秋葉 :
 95年に東京から札幌へ移住し、イトウの産卵を見たくてあちこち回りましたが空振りばかり。2001年の転職を機に本格的に産卵床調査に取り組み始めました。天塩川は、まだ誰も調べていなかったのでロマンを感じたんです。金曜夜、終業後にに300キロ近く走って車中泊をし、夜明けから川を遡行することもありました。

中野 :
 私は仕事としていますが秋葉さんは無償でしょう。どうしてそこまで。

秋葉 :
 小学生の時、親に買ってもらった魚類図鑑の見開きにイトウがドーンと。解説を読むと、巨大魚で、希少種で、肉食だから獰猛——「すげぇ」って。まさに『釣りキチ三平』の世界ですよ。それを追っかけて北海道まで来てしまった(笑)。

中野 :
 秋葉さんは川に入るとかなり遠くからでもイトウの産卵の瞬間の音をキャッチできるという噂がありますが。

秋葉 :
 産卵の瞬間の音なんて無理、無理。ただ、15年歩き続けた天塩川のとある支流なら、それほど近づかなくても3種類の音は感じ取れるようになってきました。まずは、メスをめぐってオスたちが争う音。大きな魚ですから「ガバッ、ガバッ」って水面が波立つ音がする。次は、メスが産卵床を掘る音——尾びれで川底を叩き、「ザッ、ザッ」と小砂利を飛ばす音。そして最後は、産卵後にメスが小砂利をかけて埋め戻している「グウッ、ホワン、ニュワン」というやさしい音。

中野 :
 研究仲間と全道を踏査されていましたよね。

秋葉 :
 2013年にデータをまとめたら、繁殖可能なイトウは全道でオス・メス合わせて8,000〜10,000匹。予想に反してやや多めの数字が出てきました。

中野 :
 各地で保全活動が進むにつれて、絶滅の危機はひとまず回避できたのでしょうか?

秋葉 :
 そうですね。たとえば、南富良野町では独自に「南富良野町イトウ保護管理条例」を設定していますし、尻別川では「オビラメの会」が放流による個体群復活に成功しています。道内の有志グループは「イトウ保護連絡協議会」の加盟団体だけでも10グループほど。今後、行政との協同、協業によってさらにイトウの保全活動が活発化することを期待しています。

中野 :
 「時代」なんでしょうかね。各分野でみなさん頑張っていますよね。朱鞠内湖の特徴は他の団体とは異なり、日本で唯一、天然魚のイトウを「漁業権」として管理、保護しているところです。湖には漁業権があって何らかの規制がかけられるのですが、イトウの産卵河川である川には漁業権がなかったんです。ですから、産卵遡上してきたイトウを釣り放題。ヤスで突いたり、網で捕獲したりと、完全な無法地帯でした。それでも私たちは権限がない状態。漁業権って難しいんですよ。そこで漁業をするってことですから種苗河川として守ろうとする考えとは相反してしまう。でも当時、「中野くんの夢に懸けてみる」って言ってくださった行政担当者がいまして。想いが通じたんですかね。2005年、漁業権を取得して、あたらしい観点から全魚種全面禁漁になりました。

秋葉 :
 実際、サケやサクラマスのように捕獲してお金になる魚は保護・増殖に力を入れる一方で、イトウ向けの施策はほとんどないのが現状です。鳥の世界だとシマフクロウやクマゲラなどのスターがいて、大規模な開発計画があっても、こうした鳥の生息が見直しの力に働く。朱鞠内湖など厳しいルールのある一部地域を除けば、イトウは希少種に指定されたので「大事にしましょう」とスローガンを掲げるにすぎない。とはいえ、どこのイトウでもいいから持ってきて増やそうというのはだめですね。イトウの遺伝子は河川・水系ごとに違います。支流単位でも違うはず。長い歴史の中で形成された遺伝子を人の手でごっちゃにしてしまうと、もうもとには戻せない。

イトウで地域を興す

中野 :
 2014年以降は1河川にしぼって秋葉さんに調査をご依頼していますが、今後は範囲を広げ、川の環境整備なども考えています。ここのイトウはもっと増えますか?

秋葉 :
 ポテンシャルはあると思います。サケやサクラマスは生涯に1回しか産卵しませんが、イトウは生後6、7年たって50〜70センチに育ってから繁殖活動に加わる。その後、約20年以上と言われる寿命の中で何回か繁殖に参加する。今はまだ全容解明の途中ですが、「最近、釣れるようになってきた」という釣り人の実感と、産卵床の増減は必ずしもリンクしていないのが実情です。調査を続けながら必要な対策を行うことで、イトウの増加を確かなものにしていきたいと思っています。

中野 :
 「イトウを増やせば釣り人が増加し、それに比例して宿泊業などの雇用機会も増え、ひいては地域興しにもつながる」——こういう未来を行政や地元の方々とも共有し、保全施策を促進していきたいと考えています。

秋葉 :
 イトウを釣ってもらうことで地域を潤す「ワイズユース」が朱鞠内湖の目指すべき目標であり、その点で他の地域に先駆けることがここの役割の一つだと思います。釣獲データと産卵床データを蓄積し、その結果釣りと保全を両立させることは可能であると世に示すことができたらいいですよね。

中野 :
 すでに、フィッシングエリアとしての具体的な目標は固まりつつある気がします。その一方で、いろいろなお客様と話していて気づかされたのですが、朱鞠内の魅力は釣りだけにとどまりません。現在、この湖の釣り場管理などを担うNPO法人「シュマリナイ湖ワールドセンター」の働き手は9人ですが、この地の魅力をさまざまなコンテンツとして提供していくには、まだまだ人手が足りない。今後、世界中から来るお客様に対応するためには、外国語ができるスタッフも迎え入れたい。ただし、誰でもいいというわけにはいきません。われわれと理念を共有していただくとか、-30℃の冬を愉しめるとか、資質が必要なのもの事実です。

秋葉 :
 つね日頃から、きっとここで暮らしていくためには都市生活とは比べものにならない心構えが必要なんだろうなと感じています。ある一線を乗り越えれば都市生活ではあり得ないような楽園のような暮らしも、チラチラと見え隠れはするのですが。

中野 :
 フィールドでご一緒させていただくお客様の中には各界の第一線で働いている方も大勢いまして、彼らは豊かな大自然のある朱鞠内でリフレッシュし、また日常へと戻っていく。「朱鞠内で過ごす休日を指折り数えながら、日々の仕事を頑張っています」と言ってくださる方や、以前には「この風景の一部になれるなら釣れなくてもいい」と言ってくれた釣り人もいました。実はそういう姿にスタッフたちが刺激を受けることも多いんです。朱鞠内には人を魅了する時間が流れているんですよね。

秋葉 :
 界隈にあるアカエゾマツの森は1,000年前が起源だそうですが、一番太い木でも直径は60センチほどしかない。けれど樹齢は700年。近くにはイトウが産卵する川が流れ、森からの養分に多くの命が支えられている。アカエゾマツは700年以上、人間の寿命は80年、ヒグマは25年、イトウは20年……。朱鞠内にはいろんな時間軸が重なり合っているんですよね。

中野 :
 雪融けの頃、クマゲラの「キューッ」という鳴き声が聞こえ、痩せたキツネがヒョコヒョコと歩いているのを見ると、「お前たちもよく生き延びたな」と声をかけてやりたくなる。彼らに比べたら人間なんて甘ちゃんだけど、ぼくらも越冬してほっとひと息つく時季に、彼らと同じ自然の一員なんだとしみじみと感じます。こういう希有な感動体験を、ここを訪れるみなさんと共有したいですよね。もっともっと朱鞠内のファンを増やしていきたいです。

秋葉 :
 スタッフ、観光客、そして、希少種かつ遊漁対象種(イトウ)という三つの関係がWin-Winになるという取り組みは世界にも例がありません。ぜひこの挑戦を成功させましょうよ。そして、この原石のような可能性のあるフィールドにたくさんの人を招き入れていきたいですね。

中野 :
 はい、ぜひ。今後ともよろしくお願いしますね!

秋葉 健司Kenji Akiba

1972年、東京生まれ。東京水産大学水産資源管理学科卒業。95年、北海道に移住。札幌の環境コンサルタント会社に勤務しつつ、趣味としてイトウの産卵観察のため川を歩く。2000年、勤務する会社の組織再編を機に退社。同年、同業種の会社に転職する際、「イトウ調査のため毎春1か月間の長期休暇」の要望を認めてもらい再就職。翌年以降、北海道北部を流れる天塩川でイトウの産卵床調査を単独で始める。2006年、退社して完全フリーランスの環境調査技術者となり、現在も天塩川ほか道内全域のイトウの調査・保全活動を続けている。朱鞠内湖への初訪問は2001年。札幌市在住。プライベートでは日本酒を好み、奈良県油長酒造「風の森」を長きにわたり愛飲。昔から気に入った事物には一意専心で没頭する熱血漢。約200キロ離れた朱鞠内にも通い続ける日々を送る。

中野 信之 Nobuyuki Nakano

1974年大阪生まれ。少年期から関西各地の海川渓湖を釣り歩く。なかでも天然アマゴの美しさに惹かれてトラウトのとりこに。高校在学中、バイク旅で訪れた北海道に魅せられ、94年に移住。ニセコのペンション勤務や札幌近郊で約2年間のログビルダー修業後、もっと北へという思いが募る。97年、幌加内町朱鞠内に移住し、農家に住み込む。翌年、「釣りとイトウ」に対する強い想いから朱鞠内湖淡水漁業協同組合の職員となる。2010年、NPO法人「シュマリナイ湖ワールドセンター」を設立し、釣り場管理やキャンプ場施設運営などを担う。現在、同NPO理事長であり、同漁協常務理事。さらに、北海道内水面漁場管理委員として道内の河川湖沼における遊漁の最適化を目指し奔走中。行動力をも併せ持つ天性の夢追い人で、将来的には朱鞠内にウイスキー蒸留所を作りたいという密かな夢がある。